ここは多摩センター駅のバスロータリーです。京王バス、神奈中バスのバスロータリーですが、レンガ造りでちょっとレトロ感がある空間です。その中に懐かしいものがあります。伝言板です。昭和の人にはおなじみだと思いますが、今はほとんどないそうです。ちょっと調べてみた所(ウィキペディアさん)、できたのは1904年 明治37年で、新橋駅等が始まりだそうです。その頃の名前は「告知板」と呼ばれていたそうです。その後2010年にはJR東日本の駅では2駅だけになったそうです(阿佐ヶ谷駅と北柏駅)無くなってきた理由は想像が付きます、メールや携帯が有るのにわざわざ書き込む人もいなくなってきた。という事だと思います。あとはいたずら書き等も多かったと書かれております。多摩センターの伝言板も何も書かれておりませんでしたが、懐かしいので書きました。
日野市・立川市 100年の歴史に幕なんですね・・・日野橋
100年の日野橋の歴史に幕なんですね、私の生活圏には直接関係ありませんが、
下記の画像は2020年3月に通った時です
遠くからですが右側の部分の色が少し違います
近くに行くとその部分だけが補修されてました
歩道部分です。色が少し違います
---------------------------------
爺でも初めての乗り物はワクワクするものだ・・・多摩モノレール
日野市の友人の家に泊まった翌日、始発の電車で帰ることになり散歩がてらほぼ未明の薄暗い中を歩いて出発。場所は多摩モノレールの甲州街道駅の近くなので、とりあえず以前に載せた台風で通行止めだった日野橋に行ってみた。いや~ビックリしたのですが、日野橋は次回に書くことにして今回はモノレールです。
本当は日野駅を使うのが帰り道なのですが、今日は何も予定が無いので超遠回りのモノレール。前にキティちゃんの町!と題して多摩センターの事をいろいろ書いたのですが
( ´艸`)
実はモノレールには乗ったことが無い、爺とは言え何となく子供のようにちょいワクワクしてしまった。
正式名称は多摩都市モノレールと言います。で、定義的な事をウィキペディアさん
m(__)m⇒ 南北方向の交通手段の整備が望まれていた多摩地域を縦断する路線である。元々鉄道空白地帯だった地域とターミナル駅間の輸送が主力だが、接続する鉄道が事故等で遅延・運休した際には、代替経路として替輸送に利用される。基本的には高架駅で統一されているが、中央大学・明星大学駅のみ地上駅となっている。沿線はおおむね住宅地であるため、通勤・通学客の多い朝夕は非常に混雑する。また、周辺には大学などの教育機関が点在するため、その最寄り駅や他線との接続駅は学生で賑わっている。との事です
---------------------------------
町田市|戦車道 現在は公園緑道 第二次世界大戦時は戦車性能テストコース・・・
小山内裏公園は何度か行ったのですが、こんな案内板を見たのは(気づいたのは)初めてです。戦車道(案内板より)・・・町田市と八王子市のほぼ境界線を走るこの尾根の道は、以前は「戦車道路」と呼ばれていた。それはこの道が第二次世界大戦の末期に相模原陸軍造兵廠(現在の在日米軍相模原補給廠)で製造・組み立てられていた戦車の性能テストと操縦訓練用の道路として作られたからです・・・
こちらの文言は東京都の公園案内からでございます⇒小山内裏公園は、多摩丘陵の骨格をなす主稜線上に位置し、北側は多摩川の支流大田川の源流部にあたり、現在でも湧水豊かな谷戸地形が良好な姿で保存されて います。また公園の大部分は、多摩丘陵に特徴的な雑木林で覆われており、谷戸部分の湿性草地とともに良好な植生が維持され、多様な動植物が生息していま す。特に生態系上位種に位置する動物の生息や多摩地区では希少な存在となった各種の植物の生育も認められるなど、地域的にみても貴重な自然環境を有してい ます。
小山内裏公園 太田切池・・・多摩ニュータウン造成が生んだ立ち枯れの木と池
洗車道
道路の案内看板は下にあります。
最初に尾根道に入る近くにあったアジサイ、とても力強く奇麗アジサイです。
あずき色とでも言うのでしょうか・・・微妙。
<(_ _)>種別までわかりませんが、美しいです!
で、戦車道です
小山内裏公園は入り口がいっぱいあります。
その中の一つで尾根道です
この上には、このような緑道が有ります
上の反対側がこんな感じです・・・同じ場所の左右です
この位置にあった看板「戦車道路の由来」、
内容は最初に書いた通りです。
本来は総延長約30 kmの道路計画だったが開通したのは約8 kmの一部区間のみであり、残りの大部分の区間は工事未着手のまま終戦となった。ともあります