壊れてしまったパソコンからデーターを取り出せたので、ちょい前に行った時のページを作りました。
ここは町田街道からちょい相模原市方面へ入ったところで、町だと相模原の市境に近いところの神社です。
この辺は町田街道のすぐ横と言うことや鶴川、川崎方面への道に繋がる事もあり、日中はけっこう交通量の多いところです、周りは戸建ての住宅街って感じでホームセンター等もあります。
この神社さんの由緒的なことは、私がごちゃごちゃもっともらしく言葉を変えて書いても意味がないので、神社さんの公式サイトの文言をそのままご紹介いたします⇒御祭神は「応神天皇」様です。全国の、八幡さまの総本宮であります九州の「宇佐神宮」の御霊を、勅命により勧請したと言われております。「箭幹社八幡宮記」によりますと、今から約1300年前、第34代推古天皇様がご病気になり、全国の主だった神社に病気平癒の祈願を依頼されました。その後ご病気が全快いたしました折、当神社も多額の修復費をいただいたと記されています。長らく、小田原の北条氏の配下であった小山田氏一族の氏神として、その勢力の及ぶ地域の総鎮守として崇敬されてきましたが、北条氏の滅亡、小山田氏の敗走等で神職不在の時期が続き、古文書の保存等がなされていないのが残念です。とのことです
で、下の朱色の門は町田市指定有形文化財の「随身門」と言われる朱色の門です。この両脇にいる「武官」失礼な表現かもしれませんが、門番としてはなんとも愛嬌があるというかかわいい感じがして好きです。
ここも公式サイトからですが、この朱色の門は入母屋造りで銅板葺き、正面は唐破風付で江戸時代中期の建築です。「随身門」とは、神社外郭の門で武官姿の随身像を左右に安置した門のことを言いますが、寺の仁王門の「仁王」にならって構えられたとも言われています。社殿寄り中央上部には「卍」が刻まれています。これも神仏混淆の名残りです。とあります。
ここでも神仏習合と神仏分離の話がでできました、神社やお寺にはつきものの言葉です。いろいろなところに陰陽をもたらしますね。
明治時代になって神と仏は一緒じゃダメということなのでしょうが・・・それによって山伏に関する事で天台宗と真言宗の関係がいろいろあったりと神社やお寺はその時代の権力を持つ人や社会にほんろうされる部分も多々あるってことですね
町田市指定有形文化財 随身門の左右に鎮座する武官像