相模原市|姿三四郎の決闘の地!??よくわかりませんが、峰の薬師

神奈川県相模原市、東京八王子の隣接言えば隣接の 津久井城山方面、高尾と同じように好きな所ですが、今回の峰の薬師なるところは偶然というか津久井湖の横を道なりに何気に進んでいったら矢印看板「峰の薬師」が見えたので、とりあえず行ってみるか?そんな流れで行った場所です。車では無理な場所です。バス停がありそこから徒歩で行くか、有料のパーキングに車を停めて徒歩です。私は原チャリなのでトコトコ登っていきました・・・普通に山道です。が、峰の薬師から見える湖等はとてもきれいです。市内も一望できます。が、人は誰もいません!!!しばらくいましたが誰も来ませんでした。ガサガサ音がすると熊でも出てくるんじゃないかとおびえるくらい。

あ、先に書いておきます

こちらの市の公式サイトにはハイキングコースとして載ってます。

3時間 9キロだそうです

話しは戻って、お堂の近くにあった石碑には「姿三四郎決闘の場」の文言?

若い方の為に一応・・・柔道の強い選手を〇〇の三四郎(たとえば平成の三四郎)等呼ぶ三四郎はこの柔道を描いた小説から出てきています。

で、この場所とのつながりを調べてみました。順を追っていくと、

(m(__)m ウィキペディアさんと相模原市の紹介分からです。

姿三四郎は・・・小説と映画の登場人物。柔道創成前後の明治時代を背景に、実在の人物をモデルとした柔術家・柔道家および実在の政治家ら(谷干城、伊藤博文、井上馨など)をおりまぜた登場人物により、さまざまな人間模様、柔術・柔道等の戦い、歴史的事件をとりまく人々などを描く。主人公の姿三四郎は会津に生まれ、明治15年、17歳で上京した。これは実在の柔道家で講道館四天王の一人、西郷四郎の来歴と全く同じであり、西郷がモデルだと言われる。

お堂に関しては・・・新編相模国風土記稿』によれば、当薬師堂の本尊薬師如来像は像高一尺三寸の木造坐像で、行基作の伝承があり、「峰ノ薬師」または「三井ノ薬師」と呼ばれていた。また、堂には「東照寺」の寺号を記した額が掲げられていたという。明治の神仏分離により、峰から降ろされ、廃堂となったが、1933年(昭和8年)に旧地に再興された

相模原市の観光紹介では・・・姿三四郎の決闘の舞台にもなった峯の薬師の歴史を散策しながら、津久井湖や丹沢山地の展望を楽しみ、東京都に至るハイキングコースです。

だそうですが・・・私としては、なんでその場所(峰の薬師前)が決闘の場所として描いたのか?知りたかったのですが.どこにも書いてませんでした。


富田常雄作と言うのは

小説を書いた方の名前です

姿三四郎決闘の場 石碑

ひたすら山道

山道

なんとも素敵な?山門

山門

薬師堂の解説ボード


本堂

山の中に白い本堂

なかなかいい雰囲気を出します


鐘楼

鐘楼

そして広場には

姿三四郎決闘の場 石碑


その後ろ側には城山湖に津久井湖

ちなみにこの湖は相模川をせき止めて作った!

と、市公式サイトで紹介しております


城山湖 津久井湖

市内の町並みも見えます


こちらは石碑前の広場

建物の看板には峰の薬師事務所

お正月等にはどなたかがいるのか・・


バス停のご案内


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マップ 紫色 29番