青梅のお寺さんは規模が大きい 多摩八十八霊場 47番札所 金剛寺

武家屋敷か?

真言宗豊山派 山号は青梅山 本尊は白不動明王。多摩八十八霊場47番札所。青梅市 ちょっとお寺さんが続きます、この前も書きましたが、花が咲く季節の前に全て廻った多摩八十八霊場をアップしたいと思います。お寺さんは有名なお花の名所が多く、しだれ桜、つつじ等々見物客もすごいと聞きます。私が行ったのは寒い時期なので花が咲く前にアップ終了したいと思います。で、この青梅の金剛寺さん、お寺の敷地内に幼稚園か保育園があるお寺さんは珍しくありませんが、ここは、お寺さんも大きいけど幼稚園もかなり大きい! 名前もお寺さんならではの四恩幼稚園、サイトによれば四恩の意味は①仏の恩②父母の恩③社会の恩④国の恩 だそうです、由緒は青梅市の文献⇒青梅・天ヶ瀬にあり、新義真言宗豊山派長谷寺末の、もと中本寺である。本尊は伝智証大師筆の「白不動明王画像」で、名品三不動(高野山赤不動、三井寺黄不動、青蓮院青不動)に次ぐ仏画といわれ、三十三年に一度の開帳という秘仏である。さて、広大な秩父多摩国立公園の東入口部一帯には将門伝説が多い。棚沢(奥多摩町)には将門の子・将軍太郎が天慶の乱後、天徳年間(九五七~九六○)にそこに来て父・将門を祀ったという社跡があり、川井・尾崎(奥多摩町)は家臣尾崎十郎の柵館のあったところ、御岳・浜竹も同じく浜竹五郎の屋敷跡と伝える。ともあれ平将門の生地は茨城県岩井であり、活躍舞台は千葉県北部から茨城県南部である。なぜ、このように奥多摩に分布したか。一つは将門戦死後、敗軍の将士が相当数こうした山中に隠れたものと考えられる。関東平野から北総一帯ではどうにもならないが、この辺なら格好の隠れ地であったろう。もう一つは、将門の後胤と自称する三田氏一族が大いに英雄将門を崇拝した故であろう。三田一族の活躍は鎌倉から室町期にかけて数百年に及び、その期間に将門伝説は定着したと推定される。青梅の地名の起源となったと伝える金剛寺の梅(都指定天然記念物)もその例である。とあります。自分の言葉で書き換えると間違いがあっては申し訳ないので、そのままです。



山門

山門アップ

遠くに見えるのが本堂

本堂

境内

境内

鐘楼

鐘楼

言わずと知れた大師様

弘法大師

武家屋敷?以上です

お寺さん外回り