府中市|徳川家康から御朱印地15石 多摩八十八霊場 23番札所 妙光院

真言宗豊山派 山号は本覚山 本尊は延命地蔵菩薩
多摩四国八十八霊場23番札所。ここは府中市の妙光院さんです。府中市は公園や緑地も多いですが神社やお寺も本当に多いところです。もっとも大國魂神社のような武蔵の国を代表する神社があるくらいなので当然神社は多く、その神社とお寺も絡んでくるという事でしょうか、、、。府中市の観光協会の案内によれば⇒歴史は古く、貞観元年(859)眞如法親王の開山と伝えられています。真言宗の名刹で、京都の仁和寺の門末に属し、末寺が二十八寺があり、当地の真言宗道場でした。戦国時代には八王子城主の北条氏照も帰依し、氏照から寺に宛てられた2通の礼状も残っています。また徳川家康からは御朱印地15石を寄進されるなど、時の有力者の信仰あつい寺であったようです。と、かなりのお寺だったそうです。


 
妙光院 多摩四国八十八霊場23番札所

仁王門

妙光院 多摩四国八十八霊場23番札所

 上の門に入ってる方・・・金網が強くて見えません・・・




 本堂

境内石仏



 このスタイルは弘法大師( ´艸`)


お隣の妙光院の別当、府中本町金毘羅神社さん

府中本町の金毘羅神社 社殿

ここは大國魂神社と妙光院という江戸時代には末寺門徒二十数ヵ寺を配していた真言宗のお寺さんの間に有る神社。由緒的には妙光院が別当寺、鎮守堂として金毘羅堂を祀ったもので文化13年(1816)の建造との事です。ところでこの別当寺と言うのは?前にどこかのページで書いたような気もしますが、別当寺は、本地垂迹説により、神社の祭神が仏の権現であるとされた神仏習合の時代に、「神社はすなわち寺である」とされ、神社の境内に僧坊が置かれて渾然一体となっていた。神仏習合の時代から明治維新に至るまでは、神社で最も権力があったのは別当であり、宮司はその下に置かれた。<(_ _)>ウィキペディアさんからです。この妙光院さんは前に行ったのですが、神社がすぐ隣にあることは全く気が付きませんでした、というのは、お寺と神社を結ぶ坂が金毘羅坂と呼ばれる連絡通路が有るのですが、お寺の墓地、墓の間を通ってくるので、さすがにお寺の本堂や山門は見にいきましたが墓地まではいきませんでした。この神社さんに関しては、静寂の中の鎮守堂、お堂と言う呼び名がぴったりの神社です

府中本町の金毘羅神社

 社殿

府中本町の金毘羅神社 社殿

 神社側に有るお墓、

18代とか20代とか書かれていたので

住職さんのお墓?かな

勝手に思いました、

違っていたらごめんなさい


 この坂、階段がお寺と神社の連絡路

金毘羅坂

金毘羅坂



金毘羅坂


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マップ 黒色 23番