八王子市|武田信玄の娘 松姫様の墓 信松院と産千代稲荷神社

曹洞宗 信松院 山号は金龍山
お寺さんには珍しく境内にお茶をする立派な喫茶店があります。
「お庭を見ながら静かな一時をお過ごしください」とあります。確かに境内はバカ広いという事はないのですが、みるところがいろいろあります。八王子七福神 布袋様も祀ってます。

この下の文言は寺院さんのサイトですが、自分、私の理解力と表現力ではとても自分の言葉で書けませんので貼らせて頂きます。関東へ入った家康は居城を江戸に定め、甲信への備えの為に八王子に千人同心を配置いたします。この千人同心は、元武田家に仕えていた旧臣達です。又、関東の総代官所を八王子に置き、総代官には大久保長安が任命されました。この大久保長安もかっては武田の家臣でした。異郷で新しい生活に従事する千人同心も、又、大久保長安も八王子に旧主の姫松姫さまがおられるということで、どれだけ心強く思えたことでありましょう。家康も、信玄の姫松姫さまが八王子におられるを知って寺領を贈り、時折に消息を尋ねたりしてなぐさめられます。天下を統一した豊臣秀吉も慶長三年に病没し、天下は家康のものとなり、ここに江戸幕府三百年の礎が築かれます。時は移り元和二年四月十六日(一六一六年)戦国の時代を力強く生き抜かれた松姫さまは、温かい人々に看まもられながら、眠るが如くに他界せられたのであります。御年五十六歳でありました。法名信松院殿月峰永琴大禅定尼。奇しくもその翌十七日には徳川家康も逝去せられて、後に日光東照宮に祀られます。この東照宮の守護に就いたのが八王子千人同心であり、それが明治維新まで続いたことは、松姫さまをめぐっての奇しき因縁とも申せましょう。とあります。この文章にある大久保長安の陣屋跡がすぐ近くにありそこも行ってますので下にのせました

この部分は前の心源院っさんと同じになってしまいます<(_ _)> ウィキペディアさん⇒1950年松姫がこの地へ移転した時が創建とされている。松姫は1567年 7歳のとき、織田信長嫡男の信忠11歳と婚約したが、1573年 両家は交戦となり三方ヶ原の戦い、婚約も破棄された。信玄没後 1582年 織田勢 甲州征伐が開始されると、松姫は逃避行の末武州多摩郡恩方にたどり着く。武田家は天目山の戦いで滅亡し、その後、本能寺の変で信忠が亡くなるという悲報が続き、松姫は心源院に移り出家した。との事です。


境内内にあるお墓の案内札人が多くてお墓の画像は無しです


本堂

本堂の天井


信松院

本堂 こんな建物が

駅近 街中にあるとは

お寺さんは凄いな~~

本堂

本堂アップ

本堂アップ

ん~呼び名はわかりません、よく見るのですが、ここはちょっと豪華


本堂の天井には絵が

本堂の天井

境内に有る穴守稲荷神社

穴守稲荷神社



小さな庭園

庭園

松姫の像

松姫の像

普通に喫茶店です


武田家の御紋

武田家の御紋

大久保石見守長安 産千代稲荷神社


武田信玄の家臣で武田家が滅亡した後は徳川家康にも使えた人がいます。 神社庁⇒代官大久保石見守長安の陣屋内の鬼門除の守護神として創立された。大木が繁り稲荷森と称した。神社に伝わる孤伝説等から安産福徳の神と崇拝されている。とあります。その人は大久保長安。<(_ _)>ウィキペディアさん⇒父の信安は猿楽師として甲斐の国に流れ武田信玄お抱えの猿楽師として仕えるようになったという。長安は信玄に見出されて、猿楽師ではなく家臣として取り立てられ、譜代家老土屋昌続の与力に任じられたという。この時、姓も大蔵から土屋に改めている。長安は蔵前衆として取り立てられ、武田領国における黒川金山などの鉱山開発や税務などに従事したという。とあります。松姫とも何か繋がりが有ったと言う文言を見た気がするのですが、探しても出てきませんでした。

表の通りから見える石票


鳥居


社殿

社殿アップ


境内


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マップ 信松院 紫色7番 産千代稲荷 オレンジ色10番