町田市 川崎市|飯守神社 起源はご飯を守る! お隣は汁守神社

食を守る?

ここは町田市真光寺町にある飯守神社さん パッと見は町の小さな神社としか見えなかったのですが、由緒的にはなかなかの神社さんです。神社さん⇒以前から当社は、武蔵の総社「六所宮」(現大国魂神社)と関わり深く、総社例大祭時の献饌之儀に御食を司って居たことから社名「いいもり」が起こったと伝えられます。明治四年飯守神社と改められ、大正二年境内末社が合祀され(境内東地区に跡地が残ります)昭和二十九年宗教法人となりました。町田市文献⇒慶安三年(一六五〇)三月観泉寺の法印俊誉により創立したもので飯森明神と称していた。文化七年(一八一〇)一一月に社殿の再建を行ない、除地高二斗四升の寄進を受けたのである。末社に神武天皇神明社、諏訪社、八坂神社、金刀比羅社、日吉社が奉斎してある。との事です。


町田市の飯守神社 社殿

画像が少しです、

氏子さんと思われる方が

作業をしていたので。

町田市の飯守神社 参道



町田市の飯守神社 鳥居



町田市の飯守神社 社殿アップ


汁守神社

結果から言うと、汁を守るとは関係ないようでございます

厳密にいうと一般的に川崎市は多摩地域には入っておりませんが、お隣ということで掲載させていただきます。

平日の午後、行った時に一人でお参りに来ている方がいました。町の小さな神社って地元の鎮守様と言うだけあって、観光地の神社仏閣と違った雰囲気でお参りに来る方の姿がありますね。長い間、手を合わせてました。私も写真撮らせて頂いたので気持ちだけ置いてきました、、いつも願い事は無しです。で、神社の由緒的な事は神奈川県の神社文献より⇒創立年代不詳。天明二年十一月神像造立し社殿再建、大正三年九月二十八日日枝神社外二社を合祀し、供進社に指定された。との事です

供進社って? 郷社、村社を対象に明治から終戦に至るまで勅令に基づき県令をもって県知事から、祈年祭、新嘗祭、例祭に神饌幣帛料を供進された神社。?で、幣帛(へいはく)とは祭祀において神々に対する報賽や祈願などのために奉られるものです。「幣」「帛」が共に布にちなむ意味を持つことから、古くより絹や麻、木綿(ゆふ)などの布帛を柳筥(やないばこ)に納めてお供えをしました。この布帛の代わりに金幣(貨幣)をもってお供えするのが幣帛料です。これに対して幣饌料とは、「幣帛料」と神饌にあてるための「神饌料」を両方あわせた金幣のことをいいます。何となくわかったような気がしないわけでもありません

麻生区(川崎)の汁守神社



麻生区(川崎)の汁守神社



麻生区(川崎)の汁守神社



麻生区(川崎)の汁守神社 鳥居



麻生区(川崎)の汁守神社狛犬左


麻生区(川崎)の汁守神社狛犬右


麻生区(川崎)の汁守神社本殿

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マップ オレンジ色 32番 33番