深夜のお参り
昭島市の日吉神社と大日堂さん
ここは昭島市の拝島、日吉神社と大日堂さんです。なのですが、深夜です。本当は見所いっぱいの所ですが、なんせ今回は夜中なので、撮れる範囲の画像と由緒的なページです。ただ、深夜でもお参りに来る方がいることに驚き( ゚Д゚)。 隣に拝島大師というすごいお寺さんがあったのですが、監視カメラ等々いっぱいで下手に写真を撮ってると通報されそうなので止めました。この3神仏閣は明るい時にもう一度行って見たいと思います。で、日吉神社の由緒⇒大日堂の西隣に鎮座するこの神社の創建は不明確であるが、古伝承によれば村上天皇の天暦年間(九四七~九五七)と言われている。江戸時代に入って享保一七(一七三二)年に大日堂が改修されているが、普明寺所蔵の『山王祭礼図絵』の奥書によれば寛保元(一七四一)年に山王社宗源の宣旨を賜い「山王大権現」の社号が許された。大日堂⇒大日堂(拝島町)拝島山密厳浄土寺と号す大日堂は、『大日堂縁起』などによれば、天暦六(九五二)年の多摩川洪水の際に中州に流れ着いた大日如来の木像を大神の浄土にあった浄土寺に安置していたが、滝山城築城の折にその鬼門除けとして、この地に移したと伝えられている。創建の時代は不明であるが、『新編武蔵風土記稿』・『大日堂縁起』によれば、天正一九(一五九一)年に徳川家康より一〇石の御朱印を賜ったとしているから、比較的早い時代から存在が認められていたようである。との事です。
🔴下方に昼に行った時の記事を載せました
後書き、後日昼に行ってきました
日吉神社 境内社
大日堂 本堂
昼に行きました 大日堂
密厳浄土寺 天台宗
昨日に引き続き拝島です。ここは住吉神社と拝島大師さんの間にある大日堂さんです、以前深夜に行って帰ってきたところですが、今回は本堂も鐘楼もばっちりです。そして大日堂さんの歴史ともいえる「おねいの井戸」も見てきました・次の文言は昨日のページと重複しますが、一応書きます⇒石川土佐守(滝山城主北条氏照の家臣石川土佐守)の娘おねいが7才の時、不幸にも眼病を煩い両目が見えなくなりました。父母はせめて一眼だけでも見えるようにと大日堂に祈願し、更に大日堂の下から湧き出る水で眼を洗ったところ、何と左目が見えるようになりました。石川土佐守一族はそのお礼に古い大日堂を建て直し、また新しく一山八坊を建立し、これを滝山城の鬼門よけにしたと伝えられています。とあります。が、その前の歴史的由緒は⇒『大日堂縁起』などによれば、天暦六(九五二)年の多摩川洪水の際に中州に流れ着いた大日如来の木像を大神の浄土にあった浄土寺に安置していたが、滝山城築城の折にその鬼門除けとして、この地に移したと伝えられている。この文言は前回の深夜のっ大日堂の時にのせた文言です。
境内の地蔵さま
夜は夜で風情?がある、前回の深夜の大日堂
昭島市拝島の住吉神社さん
今日も拝島です。この住吉神社さんも前に深夜の住吉神社さんで一度載せてますが、昼に行ってきましたので再登場です。平日の昼に行ったのですが、社務所には神社職員さん?っていいのか氏子さんなのかわかりませんが、きちんと受付的に社務所に座ってました。それにしてもこの一角は市の文化財がいろいろある場所です。参道と言って良い公園部分には樹齢800年のフジの木があり、こちらは市の天然記念物に指定されております。樹齢800年、このまえ樹齢500年の元気な杉の木を紹介したばかりですが、こちらは800年、樹木の種類が違うので何ともわかりませんが、自然の生命力は凄いもんだ。ちなみにこの拝島公園自体が「新東京百景」に選ばれているそうです。ア、思い出したのですが、この公園(大日堂の仁王門の右側)の水道の水がとても冷たい!気のせいでは無いと思います。あまりにも暑かったので顔を洗ったのですが、ヒンヤリです。気温が高すぎて麻痺してた?( ´艸`)絶対ないとは言えませんが、とにかく冷たかったです。で、由緒的な事は深夜の時と重複してしまいますが、日吉神社の由緒⇒大日堂の西隣に鎮座するこの神社の創建は不明確であるが、古伝承によれば村上天皇の天暦年間(九四七~九五七)と言われている。江戸時代に入って享保一七(一七三二)年に大日堂が改修されているが、普明寺所蔵の『山王祭礼図絵』の奥書によれば寛保元(一七四一)年に山王社宗
源の宣旨を賜い「山王大権現」の社号が許された。とのことです。
社殿
境内社
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