日野市|程久保神明神社と観音堂 神社の賽銭箱に浄財?

多摩動物公園の隣

ここは多摩動物園のすぐ近くにある神明神社、多摩センター方面から行くと動物園を過ぎて増田屋さん(お蕎麦屋さん)の前を左に入ってちょい先左に鳥居がでてきます。残念ながら車を止めようものならすれ違いは困難な狭い道です。で、この神社で驚いたのが、普通は神社でお参りをしてお金を入れるお箱は賽銭箱、ですが、ここは「浄財」この文字はお寺、寺院系では当たり前に見る文字です。で、この浄財の意味を調べてみた所、宗教団体、寺社、慈善事業に寄付するお金、仏様に捧げる綺麗なお金等々お寺がらみでした。という事は、この神社のお賽銭は慈善事業に寄付している!のかなという事で神社の由緒は日野市の観光協会さん⇒創建は人がこの辺りに住み始めた頃と考えられるが、詳しいことは判っていません。一番古い棟札は寛永15年(1638)に改修された時のものです。当地域には当社のほか、程久保川上流に秋葉権現社、下分に山王権現社があり、それぞれの氏子講中に分かれて祭礼を行なってきましたが、明治以後神明社に合祀されています。との事です。

 神明社さんのお賽銭箱、名前は浄財

浄財と言う名の賽銭箱

 社殿

日野市の程久保神明社 社殿

 境内神社

日野市の程久保神明社 境内

日野市 神明社境内観音堂


神明神社の続きで社内に有る観音堂。社内、境内と言って良いのかわかりませんが、同じ敷地だと思われるところに観音堂はあります。特別に有名な観音堂ではない?かもしれませんが、由緒、由来的な石碑がありそこには日露戦争と言う文字があります。いろいろ神社やお寺さんを廻っていると日露戦争に関する碑は本当に多いです。日本が勝った戦争という意味もあるのでしょうがそれにしても多い。勝った事をたたえる意味も亡くなったへに意を表した意味もいろいろだと思います。小学生に戻った気分で日露戦争の事、参考書を見て書いたらとんでもないことに成るので一番端的に表現という事でこの文言、ウィキペディアさん⇒「日露戦争は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と、日本海を主戦場として発生した戦争である。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。」です。記念碑や観音堂、神社に祀られている御名前が書かれた札、ボード?その当時の人たちのいろいろな思いがよせられていると思うと、上手く表現できませんが重さを感じます。

日野市程久保の神明神社の境内観音堂

神社入り口の右側にあるお堂


再建の由来 

こんなことが書いてあります

①この観音堂は、明治38年4月8日

日露戦争に際し、程久保有志が
(この後が良く読めない)

十一面観世音菩薩を祀った。


こちらはお堂入り口の左側にある石仏

お堂入り口の左側にある石仏

よくわかりませんが、

こちらは日露戦争とは関係ないように思います。

右上と左下は猿が彫られているような感じで

庚申塔?じゃないかと思います。

右下は馬頭観音。

左下は妙に新しい感じがしましたがよくわかりません。










---------------------------------


---------------------------------


マップ オレンジ色 20番