相模原市|久保沢観音堂 大正寺 小さいけどありがたい感じの久保沢観音堂

昔を感じる場所

相模原市緑区にある久保沢観音堂、入り口には市守神社の名前があるのですが、その関係はいくら調べてもわかりませんでした。中に入っても「津久井霊場 第五番札所」の文字があるだけです。この観音堂はという事で、同じ久保沢にあるお寺さんの正覚寺さんのサイトに詳しく載っていたので引用させて頂きます。正覚寺さんのサイト 当観音堂は元臨済宗建長寺派の桂昌寺持ちで、久保沢の宿を見下ろす小高い所に位置す。堂内境内には御本尊の他に百体観音の石像を安置してある。 桂昌寺は明治39年類焼、大正元年林泉寺に合併し大正寺と寺号を改める。桂昌寺、林泉寺の開山は同じで春林甫禅師であるが、創立年月は共に不詳。大正寺は山号萬壽山、本尊は薬師如来。兼務は城山町谷ヶ原1-3-1 臨済宗建長寺派大正寺。との事です。


この日はお堂の行事か何かの前日で

お堂の中の部屋で何やら会議中、

あまりウロウロするのも何なので、

数枚の写真を失礼して撤収です
( ´艸`)

相模原の津久井 久保沢観音堂

本堂

本堂

参道入り口

この市守神社さんの意味がわからないのです

市守神社



津久井霊場

 本堂前 境内





 十三夜、、十三夜の石碑です

  十三夜の石碑

相模原市 大正寺 臨済宗建長寺派 山号は萬壽山

お寺さんは久保沢観音堂のすぐ近くにあります。住所的には久保沢ではなく相模原市緑区谷ヶ原となります。いろいろ調べたのですがお寺さん自体の由緒的な事はほとんど出てこなく、神奈川新聞の記事によれば1913年に2つのお寺が合併して現在に至ること、市の有形民俗文化財で「徳本念仏塔が有ること、この念仏塔に関しては市のサイトにこうあります⇒この念仏塔は、自然石石塔で正面に「南無阿弥陀仏 徳本(花押)」の他、「畑久保 尻無沢 当所講中」、側面に「文政四年辛巳十月日」(1821年)の銘があります。主体部は高さ97センチメートル、幅65センチメートル、奥行き57センチメートルです。地域の念仏講や村の生活史を知る上で貴重な資料です。との事です。石材店さんのサイトには⇒観音堂は元の桂昌寺境外地(桂昌寺門下温泉坂の登り口)に在る。桂昌寺は明治三十九年三月十七日に温泉坂より出火、折からの烈風で鐘桜のみを残して他の全て焼失した。現在大正寺にある須弥壇はその折搬出したものである。と、これが昨日書いた久保沢観音堂で、2つのお寺が合併したもう一つのお寺さんがこの火災で焼失した桂昌寺さん?という事でいいのでしょうか。と、思って市のサイトにこんな記述が有りました。これは観音堂の事を書いたページですが、⇒この百体観音は、久保沢観音堂内にまつられており、西国1番から33番、坂東1番から33番、秩父1番から34番(21番は2基あるため35基)の札所番号を刻した台座にのる101基の石造観音像で、現在まで1基も欠くことなく維持されています。形状は立像、坐像、半跏像の3様を丸彫りまたは浮彫りにしたもので、すべて丸形または舟形の光背を付け、彩色が施されています。大きさは様々で大きいもので総高52センチメートル、小さいもので24センチメートルを測ります。各最終番の像に刻された銘文によると、本像の造立は明治11(1878)年に大正寺の前身である桂昌寺の住職山本渓山が発願したもので、明治27(1894)年にすべての像が奉納され101基が整いました。また、秩父35基には石工「北原祥重」の名が刻まれています。観音像の像容には、聖観音をはじめ十一面観音、千手観音、如意輪観音、馬頭観音、准胝(じゅんてい)観音、不空羂索(ふくうけんじゃく)観音の7種類が認められます。 各像の造立者は個人が多く、久保沢を中心に現在の伊勢原市域や川崎市域、東京都、埼玉県、群馬県の在住者も見られます。造立目的は先祖供養やこの地域で盛んであった養蚕祈願などです。久保沢観音堂では、10月の9日、19日、29日を「オクンチ」と呼び、現在でも大正寺住職による読経などが行われています。となっております




相模原市谷ケ原 大正寺




 駐車場に並ぶ石仏様

駐車場に並ぶ石仏様

 右の願王と書いた石仏を中心に

左右に並んでいるのが下の画像です








 本堂


 鐘楼



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