武蔵野市|ここが一番札所 多摩八十八霊場 1番札所 安養寺

ここが一番札所

多摩八十八霊場 武蔵野市の安養寺さん 多摩四国八十八霊場です。多摩四国八十八霊場1番札所。知ってる人は知ってる、知らない人は全く知らない多摩八十八霊場!多摩四国八十八霊場というものがあってその1番札所がこの安養寺さんです。誰がいつ作ったかと言うと、日野市の高幡不動金剛寺大僧正が多摩地域の真言宗寺院八十八のお寺を四国の八十八霊場にみたてて昭和9年に作り上げたもので、いわば四国八十八巡礼の多摩地域版です。一時はバスで回るような人気の時代も有ったとかで、お寺の中に入りやすいお寺さんが多いです。で、この一番札所の安養寺さん、街の通りに面していて、興味をもって探している場合は気が付きますが、この奥にいろいろなっ石仏等があるとは気が付きませんね。由緒的な事は⇒安養寺は、賢乗(寛文8年1668年寂)が開山となり創建した・との事です。また市指定の有形民俗文化財に関して、市の教育委員会⇒安養寺梵鐘は安永二年(1773)、当時の武州多摩郡吉祥寺村の小美野(濃)源助が本寺に奉納したもので、江戸時代のものとしては市内に現存する唯一のものです。とあります。もう一つの庚申塔に関しては⇒この庚申塔は、代官野村彦太夫により吉祥寺新田村の検地を受けた翌年の寛文五年(1665)十二月に建てられ、旧北多摩郡では最古のものに属します。碑の高さは117㎝、幅39.5㎝、厚さは13㎝あり、銘文には吉祥寺新田開発に関係の深い人達の名が刻まれ、特に女性の名が十数人も記されているのは珍しいことです。とあります。で、この庚申塔とは?稲城市のサイトにあったものですが⇒60日ごとに巡ってくる庚申(かのえさる)の日に、講中の人たちが当番の家に集まり、一定の儀式のあと夜を徹して飲食を共にし、夜明けと共に解散するというのが庚申講の一般的な形です。江戸時代以降に農村で流行した庶民信仰であり、講の継続を記念して、供養のために講中の人々によって庚申塔が造立されるようになりますとあります。庚申講(待)ではとにかくその日は徹夜で過ごさなくてはならないため、眠らないように、顔にスミを塗ったり、胡椒をかけたり、太鼓を叩いたりしたという(ウィキペディアさん)


本堂の上部。

呼び名はわかりません

本堂上部の?

山門 

山門


有形民俗文化財

甲幸供養塔

有形民俗文化財 甲幸供養塔 掲示板

有形民俗文化財 甲幸供養塔

普通に考えれば・・・

弘法大使だと思うのですが


布袋尊

布袋尊