川崎市|子之神社 子の方角に地主神を祭ったのが命名

子の方向とは北側

子之神社さんの起縁、由緒的な事は川崎市教育委員会⇒天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めの際、兵火にあって焼失し、江戸時代前期の延宝7年(1679)、菅村の領主である旗本の中根氏が、当社を管轄していた法泉寺(ほうせんじ)に田畑を寄進して、社殿を再興したと述べられています。
その後、享保13年(1728)には、佐保田与市(さほたよいち)ら3名の村民が願主となって、本殿と拝殿を造営しました。現在の社殿は、その後に再建されたものです。との事です。またわかりやすく⇒北条の家人、佐保田山城守政房が、馬場谷戸に館を建てた際、その子の方角に地主神を祭ったのが、子之神社の起りと云われている。ともあります。




川崎市子之神社 鳥居

 川崎市子之神社 社殿

川崎市子之神社 社殿

 社殿アップ

この神社で一番気になったのが

そろばん。

調べましたが何も出てきませんでした。




 境内 この狛犬は正面の狛犬ではなく

境内に祀られたもの


何も書かれていないようでしたが、

確か武蔵村山市の中藤熊野神社で

同じような記念碑を見た記憶が、、、

日露戦争記念碑だったと思います


 今風ですがたぶん神楽殿だと思います


境内の 由緒書き(一部分)


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マップ オレンジ色 43番