八王子市|宗関寺と八幡八雲神社 市の名前の起源

八王子市の名前

曹洞宗 宗関寺 山号は朝遊山
 ここは八王子城跡の通りのお寺さんです。特別大きな石仏が見えたわけでもないのですが庭先と本堂がとてもシンプルで綺麗で寄ってみました。本堂の寺の名前が書いてある大きな板というか表札的な、、、呼び名がわからないのですが、その文字がまたなんとも良い感じです。このお寺さんには八王子と言う名前がついた起源、八王子神社の由緒につい伝わる古記録(こきろく)が残ってるそうです。牛頭天王(ごずてんのう)と8人の王子(八王子)の話です。後、場所柄、北条氏とのいろいろがあり北条氏関連のお墓が都の指定文化財にもなってるそうです。

八王子市のサイトからですが宗関寺(そうかんじ)(元八王子町)に伝わる古記録(こきろく)に記されています。それによると、平安時代、延喜(えんぎ)13年(913年)の秋、京都から訪れた妙行(みょうこう)という学僧が、深沢山(ふかざわやま)(後の八王子城)山頂の岩屋で修行をはじめました。夜がふけると、にわかに強風が吹き、雷鳴がひびき、いろいろな妖怪(ようかい)が群れを成して現れ始めました。妖怪たちは、妙行の回りにおしよせてくると、たちまち姿を消してしまいます。その後、月明かりの下でお経を唱えていると、今度は岩屋の上から大蛇が降りてきて、妙行の回りにとぐろを巻いて眠ってしまいました。妙行が、手にした如意棒(にょいぼう)で頭を打ち「目を覚ませ」と言うと、大蛇はたちまち消えてしまったのです。夜が明けると、8人の童子(どうじ)を伴った神が現れ、「私に属する神々や弟子たちは、あなたの徳に感服しました。願わくば、この地にとどまってください。私は、あなたの神護(じんご)の法にしたがいます」と告げたのです。妙行が名前を問うと「私は牛頭天王(ごずてんのう)で伴っているのは八王子です」と答え、姿を消してしまいました。妙行は、さらに修行を積み、延喜(えんぎ)16年(916年)深沢山(ふかざわやま)を天王峰(てんのうみね)とし、周囲の8つの峰を八王峰(はちおうみね)とし、それぞれに祭祠(さいし)を建て、牛頭天王と八王子をまつる八王子信仰が始まったのです。翌年、深沢山のふもとに一寺が建立され、しだいに伽藍(がらん)も整備されていきました。慶(てんぎょう)2年(939年)、妙行の功績が都の朱雀(すざく)天皇の耳に届き、「華厳菩薩(けごんぼさつ)」の称号が贈られるとともに、寺名も「牛頭山神護寺(ごずさんじんごじ)」と改められたのです。これが、八王子神社の由緒とその神宮寺(じんぐうじ)となった牛頭山神護寺(後の宗関寺)の縁起として伝えられた「華厳菩薩伝説」のあらましです。伝説の真偽は別としても、八王子神社を中心とした地域が、中世には「八王子」と呼ばれるようになったことは間違いありません。とあります


八王子市の宗関寺 本堂アップ

山門

八王子市の宗関寺

石票

八王子市の宗関寺

本堂

八王子市の宗関寺 本堂


鐘楼

八王子市の宗関寺 鐘楼


八幡八雲神社


ここは八王子市の神社ですが、最初、神社名を見た時に?と思った。〇〇八幡神社とか〇〇八雲神社とかは見かけるのですが、先に八幡、で八雲神社は初めて見た気がします。由緒的には慶長3年(1598)新町板屋ヶ淵において百姓五兵衛が発見した八雲神社を当社内に再建、この八雲神社は大伴妙行が延喜16年(916)川口村深沢山に勧請したもので、祭神(牛頭八王子権現)に因んで地名八王子の由来となったとの事です。
八王子の名前の原点だったとのこと、八王子の方にしてみれば正に市の鎮守様ですね

屋根の形がちょっと普通と違う?

八王子市 八幡八雲神社

 境内に祠が多数

八王子市 八幡八雲神社


八王子市の神社 八幡八雲神社 横山神社

 神使いの狛犬?ですが、

大きな岩の上に鎮座

親子だと思うのですが、

画像だとちょっとわかりづらいです

八王子市の神社 八幡八雲神社 狛犬



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マップ オレンジ色 17番 宗関寺 紫色19番