真っ赤なお賽銭箱
この神社ではいろいろ面白いと言うか考えらされることがあった。写真を撮っていると小学生くらいの4人グループがリュックをしょってやってきた。
子供たちもスマホを出して撮影( ´艸`) 突然「おじさん、これ、あさまじんじゃ?せんげんじんじゃ?なんて読むの? ( ゚Д゚) たぶんせんげんじんじゃだと思うのだが、自信が無い( ´艸`) あさまじんじゃ、でも間違いないような?? 結果的には仲間の子供が検索して「せんげんじんじゃ」って書いてある!だって、さすがに今の子供はすぐ検索!だったら聞く前に検索しろって話だ!と心で思ってホット一安心。
でも、帰ってみて調べたら時代によって変わったと言うのが本当らしいです。初期は「せんげんじんじゃ」で、その後「あさまじんじゃ」となったとか・
由緒的にはウィキペディアさん⇒富士信仰に基づいて富士山を神格化した浅間大神(浅間神)、または浅間神を記紀神話に現れる木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)と見てこれを祀る神社である。とあり、この神社の記念碑には富士山本宮浅間大社の文言が有り、総本山絡みの碑だそうです。ただ、面白いのがこのサイトさん、いろんな事が書いてあります。昭和31・2年(1956~7)ころ、野津田神社の中宮を新築することになり、古い中宮が不用になってしまった。おたきあげ(神社で庭火をすること)をするかして、処分しなければならない。小野路の町内会の役員がこの話を聞いて、協議した結果、小野路でもらって浅間神社の社殿として使うことに意見が一致した。浅間神社は、明治42年 (1909)に小野神社に合祀してから、神社の社殿がなかった。このころは、小野路にはトラックはなく、トラックのゴムタイヤを後輪につけた、大型の四輪の牛車を借りて、中宮を運搬することになった。野津田神社のなかから、中宮を出してみると、思っていたよりも大きなものであった。小野路から人足として40人もの加勢がいたので、力を合わせて牛車に乗せた。このころは、道路の道幅も狭く、中宮が民家の植木の枝にかかったりするたびに、その家に断って枝を切らせてもらっては、ゆっくり進んだ。並木から向坂を下り、宿を抜け辻を左折して橋をわたり、右折したところが、急カーブで急坂になっており、ロープを長くすると、道路が直角に曲がっているため力が入らない。何度も行ったり、戻ったりしてようやくのことで、浅間神社まで一日かかって運んだ。当時は自動車も少なかったので、ゆっくりと運ぶことができた。この後、浅間神社は6月1日に大祭が行われ、平成4年秋には木造で新築され、野津田から運ばれた中宮は、中に安置されている。ちなみに、浅間神社の祭りには、大きな大福餅を売り、これを食べると一年間健康に暮らせるという。引用させて申し訳ございません、他にもいっぱい記事が有るサイトさんです、本当に趣味でいろいろ歩いていらしてる方のようです。リンクさせて頂きます

社殿 逆光で正面からは無理でした
社殿造営の記念碑
文言には総本山
遠くに見える左側が鳥居
偶然ですが、私は逆から来たので上らなかった
( ´艸`) 写真だけ
雰囲気は町田の古道?
調べてませんが繋がりが有る感じです、
よこやまの道とか、、。
この道に標識があって子供のグループが来るという事は、
町田市の何か歴史的な事の
オリエンテーリング的な行事にも使われている道だと思います。
周りの景色
前に行った奥州古道みたいな雰囲気
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