おやじさん、、
ここは駅で言うと八王子みなみ野に近い場所で住所は兵衛2丁目 宇津貴熊野神社。どうも
宇津貴と言うのは昔の名前?境内の由緒書きにはそう書いてあります。この神社、行って見て最初にアレ?と思ったのが地蔵尊並みのお地蔵さんの扱いです。命名をした木表が各お地蔵さんにあり綺麗にされてます。そして何よりびっくりしたのは神使い(一般的には狛犬と称されるもの)の変ったと言うと氏子さんに怒られるかもしれませんが、今までにない神使いの風貌でした。そしてとても綺麗なお召し物!偶然なのか日常的なのかわかりませんが、綺麗に洗った衣装を身に着けておりました。で由緒的な事は境内の表示から一部分⇒宇津貫「熊野神社」の由来 熊野神社に関する記録はあまり多く残されておりませんが「新編武蔵風土記稿」によると同地は「第六天社」として紹介されています。境内には、寛延四(1751)年に建てられた角石塔や、明和二(1765)年に造られた狛犬の像があります。これらにはいずれも「奉納第六天」の文字が刻まれており、この頃すでに「第六天社」があったことがうかがわれます。また、神社の宝物として今に伝わる麻布の幟(のぼり)には、寛政十二(1800)年二月「奉納赤山大明神御宝前 村中子ども安全」と記されており、「第六天社」と同時に「赤山大明神」も合祀されていたことが分かります。との事です。
宇津貴と言うのは昔の名前?境内の由緒書きにはそう書いてあります。この神社、行って見て最初にアレ?と思ったのが地蔵尊並みのお地蔵さんの扱いです。命名をした木表が各お地蔵さんにあり綺麗にされてます。そして何よりびっくりしたのは神使い(一般的には狛犬と称されるもの)の変ったと言うと氏子さんに怒られるかもしれませんが、今までにない神使いの風貌でした。そしてとても綺麗なお召し物!偶然なのか日常的なのかわかりませんが、綺麗に洗った衣装を身に着けておりました。で由緒的な事は境内の表示から一部分⇒宇津貫「熊野神社」の由来 熊野神社に関する記録はあまり多く残されておりませんが「新編武蔵風土記稿」によると同地は「第六天社」として紹介されています。境内には、寛延四(1751)年に建てられた角石塔や、明和二(1765)年に造られた狛犬の像があります。これらにはいずれも「奉納第六天」の文字が刻まれており、この頃すでに「第六天社」があったことがうかがわれます。また、神社の宝物として今に伝わる麻布の幟(のぼり)には、寛政十二(1800)年二月「奉納赤山大明神御宝前 村中子ども安全」と記されており、「第六天社」と同時に「赤山大明神」も合祀されていたことが分かります。との事です。
鳥居 参道
ラッパイチョウ 説明
国内で十数本しか存在が知られていない イチョウの変異枝
ラッパイチョウの木
社殿
社殿アップ
神使い
神使い
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