山口観音金乗院さん 真言宗豊山派 山号は吾庵山
多摩散歩ではないけどm(__)m 本人は武蔵村山市のつもりで行って、途中で埼玉県の表示?で途中に綺麗な五重塔が見えて行って見たのが山口観音金乗院という真言宗のお寺さん。たまたま多摩散歩で多摩四国八十八霊場に行っている途中なのでちょっと興味を持ってしまった。宗教無知な私でも何となく歩き回れて楽しい感じがするお寺さんです。境内にはうどん屋さんも有ったりで、多摩で言うと高幡不動金剛寺さん的な雰囲気です。で、山口観音金乗院(埼玉県所沢市)を何回かに分けて載せたいと思います。今日はとにかく驚いた、水子供養の丘と言って良いのかわかりませんが、あまり見たことが無い雰囲気に驚いた。そして歴史的にも古くウィキペディアさんからですが⇒ この寺は、古くから観音信仰の霊場として知られ、観音像や観音堂は寺伝によれば奈良時代の僧行基によって弘仁年間(810年 - 824年)に開かれたと伝えられ、この寺はその別当寺であった。鎌倉時代末期新田義貞が鎌倉を攻めた際には、この寺に祈願したという。との事です
走っているのいきなり現れる朱色の五重塔、
周りが緑なのでとても綺麗に見える
画像が斜めってます・・・
※建物は傾いてません(たぶん)私が傾いております
山口観音金乗院
m(__)m
こんなに大きな 水子供養は見た事が無いです
洞窟、、仏国洞
四国八十八霊場とも書いてありました。
と、七福神です。
入り口は五重塔のすぐ横ですが、
道路側から来ると出口が手前に
こちらが七福神ですが、
何ともカラフルと言うか楽しくなる雰囲気です
上の門?お堂?建物の中に七福神
偶然が重なってこのお寺さんに行ったのですが
(本人は多摩散歩で武蔵村山市のつもりで行って)
良い時間を過ごせたと思います
もう一度由緒的な事⇒ この寺は、古くから観音信仰の霊場として知られ、観音像や観音堂は寺伝によれば奈良時代の僧行基によって弘仁年間(810年 - 824年)に開かれたと伝えられ、この寺はその別当寺であった。鎌倉時代末期新田義貞が鎌倉を攻めた際には、この寺に祈願したという。ウィキペディアさんからです
m(__)m
この門?お堂の中に下のお地蔵様が
ぽっくりさんとの事
由緒書き
新田義貞公の話
鎌倉時代末期新田義貞が
鎌倉を攻めた際には、
この寺に祈願したという
興教大師。
真言宗を広めたという意味では
弘法大師より実績があるとあるとか。
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